理解できる人と出来ない人 飛び込める人と飛び込めない人の不幸なめぐり合わせ

 最近故あって売店売りの埼玉新聞を購読する状況となっています。
で、7月5日付第6面にヤンキー先生こと義家弘介氏の連載「ヤンキー先生のきょういく論」と言うのが載ってる訳です。ざっと読んだ内容(あくまで私感)としては携帯電話やインターネットと言った物を子供に与えるには大人が責任を持つべきだと言うのがおおまかな内容だったりするわけですがその中においてインターネットと言ったネット上のコミュニティを「闇の世界」と言い出す辺り、「義家弘介と言う人はネット上のコミュニケーションに対して非常に疎くかつ素人なんだな」と言うのを感じるわけです。

 そうでなくとも携帯電話やパソコンを入り口としてインターネットを介する形でコミュニケーションを取るというのはそれなりにスキル習得し、慣れてしまえば電話で長電話したり手紙や封書で文通する感覚で行えても使うまでの過程が複雑に見えるので使えない人間にとっては非常に未知の世界となってしまう。そして、未知の世界であるが故に「闇の世界」なんて安易な言葉で済ませてしまう部分と言うのがあるのでしょう。ぶっちゃけた話、義家弘介氏が言うべき事は「ネットは悪」と頭の中が止まったかのような理屈をこねるのではなく、義家弘介氏自身がネットを介したコミュニケーションを取れるか?取れないか?を表明するのが先なんじゃないか?、そうする事によってネットによるコミュニケーションをとる私たちは理解出るんじゃないか?、と言う気がするのですが。

 これに関係すると言えばするのでしょうが、どうも一つの思想、特に保守思想において最近ネット上においてコミュニケーションをとる方々と昔からの人達との間に大きな壁を昔からの方々が率先して構築しようと言う流れが見えてきたように感じます。確かに昔からの方々にとってはネット右翼のような人は理解できないかもしれないし、彼らの中に飛び込みたくてもスキルが無いが故に飛び込めない、つまり理解できないと言うのはあると思います。しかし、かと言って「国家の品格」とか歪んだ国家主義を持ち出して硬直化して拒否してしまう行動をとるのは後々の事を考えると得策ではないし変に分断してしまったが故に最悪の結果になるじゃ無いか?、って気がするわけです。(そこそこ感づいてる人は居るかもしれないけど)

 最後に保守において古い世代やそれに踊らされてる人になるほど「ネットは敵だ」「バーチャルは敵だ」と言う論調が目立つのですがその一方でパソコンや携帯電話の普及率は上がってると共に高年齢層でも扱えるようなものも増えていますし、団塊の世代が定年を迎えてネット上でコミュニケーションをとるケースが増えるかもしれない。そして、そういった層がネット上のコミュニケーションスキルを若者以上に身に付けたとしたらどうなるか?、と言うのは非常に気になる所なのですが。