「萌え」のマイルストーンであるが故の贅沢な悩み

アニメスタイル 首藤剛志 シナリオえーだば創作術

第54回『ミンキーモモ』はロリコン向けか?
第55回『ミンキーモモ』は「ロリコン」を受けて立つ?

まず、若い人だと「ミンキーモモってなんですか?」と聞かれそうな気がするので
ちょっと語ると「少女アニメの皮を被ったごった煮アニメ」「萌えアニメの原点」と答えた方が
良いかもしれません。
(今の感覚だとアニメ版のギャラクシーエンジェルがこれに近いかな?)

どっちにしてもこれがなかったら「カードキャプターさくら」の木之本桜
涼宮ハルヒの憂鬱」の涼宮ハルヒが出てこなかったんじゃないか?
と考えて良いほど様々なアニメ文化、特に「萌え文化」にもたらした影響は
計り知れなかったりするのですがその生みの親による証言が上記の
リンク記事になります。当時の空気を知る上では非常に

 放映当時はいわゆるロリコンブームの渦中であり「萌え」と言う概念が
確立されていなかったと言う部分はあるとはいえ「萌え」と「ロリコン」を
生みの親が未だ混同すると言うのもちとばかし疑問を感じると言うか
混同した状態で55回で提示されたシナリオを持ち込まれても相当
噛み砕いた事をしない限りは観る側から反発を招くだけなんじゃないか?
と言う気がするのですよ。

 確かにミンキーモモはキャラとしても魅力的ではありましたが少なくとも
放映当時観ていた方々と言うのは「なんだか凄くて面白いアニメ」として
みていた部分ってあったと思うし、その土台があってこそ
ミンキーモモと言うキャラクターも魅力的であった様な気がするのですよ。
そしてあとに続く同じようなコンセプトを持った作品も「面白い作品」と言う前提の元で
作られていたしそれ故に支持されていた。

 それを踏まえた上で新作が出てくるのであれば、いわゆる「泣きゲー」に代表されるゲーム文化の文脈から
描いたミンキーモモが観てみたいし、様々な文脈・解釈によるミンキーモモが観てみたいと
考えるのは贅沢でしょうか?。

最後に「萌え」を「魅力的なものにときめく」と仮に定義するのであればミンキーモモ
ロリコン」ではなく「萌え」であると思います。