女児誘拐殺人事件のおいて責任を何かに押し付けたがる

■今日の視角 表現する側、される側

信濃毎日新聞

 あなたは、チャイルドポルノというものをご存じだろうか。子どもを被写体や登場人物にしたポルノグラフィーだ。現実に観(み)たことはなくとも、成人した女性を被写体としたポルノグラフィーの存在についてはご存じだろう。その女性のポジションに子どもが置かれたのが、チャイルドポルノである。
(中略)
 こういった表現物が「現実の犯行へのガス抜き、ストッパーになっている」という声もある。が他方で、そういった表現物が、現実の犯罪のガイド役、誘発剤の役目を果たす可能性もまた否定できない。

 言うまでもなく、表現・報道の自由は民主主義の根幹である。大本営発表のようなかつての時代を再び迎えてはならない。従って、表現の自由もまた力によって規制されてはならないはずだ。

 しかし、自ら選択することのできない子どもたち、ましてやその国の多くの人が貧困に苦しむ社会に生まれた幼い子どもたちが、大人に性的に利用され、搾取され、破壊されていくことを、果たして表現の自由と呼ぶことが可能だろうか。子どもという集団を利用し、徹底的に痛めつけ、卑しめる表現物が表現の自由という名に値するものだろうか。権力の腐敗や理不尽さを告発する「表現・報道の自由」をむしろ規制したがっている側の言い訳に、「野放しのチャイルドポルノ」が使われてしまうこともまた恐ろしい。(抜粋)

・・・そもそも犯人が捕まっていない段階でポルノメディア責任論に
走ること自体がちゃんちゃらおかしいのですが、特にチャイルドポルノこと
児童ポルノに関しては児童買春・ポルノ禁止法で既に製造販売と販売頒布目的の
所持が禁止されて表立った流通は既にされていない事実をこの記事を書いた
落合恵子氏はご存じないのでしょうか?。

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律