表現規制反対運動について思うこと

 ところで、漫画・アニメ・ゲームへの表現規制反対運動に関して最近思う所としてどうもこの問題に関わると「好きでやってる趣味が楽しめなくなってしまうのではないか?」と思うことが結構あります。
実際私自身もそういう状況になって精神的にまいった事がありますし、明らかに精神的にダメージを食らっている方々をウェブ上で見かけます。つまり、自分の趣味を守るために規制の流れに逆らって戦ってるはずがその戦い自体にウェイトを置き過ぎて結果としてその趣味自体がどうでも良くなってしまってる事が度々見かけます。
(実際問題として普通に平和にやってきているコミュニティ内において、表現規制問題における恐怖心に駆られた一住人によってコミュニティそのものが破壊されたり、同じ様な理由で一人で勝手に行動して最終的に表現規制に反対する方々に多大な迷惑をかけることケースを見かけます。)

 この問題の根本として、表現規制に賛成する方々は基本的には志願兵といいますか最初からそういうことをするために集まっており行動そのものに迷いが無いのに対して、反対する方々は様々な問題への恐怖心や苛立ちが元で集まってるのが殆どでそれ故に不安定な所がある。ましてやこの手の問題は長期戦である事を募る側は教えないので結果として数多くの犠牲者を出してしまうのではないか?と考えるわけです。

 ではどうすればいいのか?と言うと、私なりの考えではありますが、いたずらに恐怖心を煽らない事、行うのであれば現状何をすればいいのかをきちんと指し示すこと(「今は何もしなくてもいい」というのも一つの指針でしょう)、この手の問題は基本的に長期戦である事をきちんと教えること。そして、

「どんなに言われようとも自分の趣味を通す事が最大の抵抗になるんだ」
「常識的な範囲内であれば堂々と好きな事をやっていいんだ」

を きちんと言う事がこの手の問題に関わる上で犠牲者を出さない方法の一つではないかとおもうのです。

 確かに恐怖心を煽る事によってそれまで政治的な問題に対して無関心であったであろう人々に興味を持たせると言う意図は成功しているのかもしれない、しかし、それは受け入れ先があってのことであり受け入れ先が事実上機能していない現状では単なる恐怖心の袋小路に陥るし現状はそうなってきてしまっている事は考えてもいいのではないかと思います。

 あと、6月30日に行われたアキハバラデモが多方面からあれこれ突っ込まれていたのにも拘らず500ほどの人々が集まった背景の一つとしてこれまで周回されてきた「表現規制への恐怖心」と言うのものを何処かで暴露したい訴えたいと言う意識も働いたのではないでしょうか。